日本を出た理由2:マッチ箱の家
当時田園都市沿線に住んでました。ある日曜日、近所で新築の家のオープンハウスがありフラッと立ち寄ってみました。駅まで徒歩10分以内、職場の赤坂まで30分の所です。
狭すぎた。形だけの玄関があり、すぐにリビングとキッチン、当然玄関から丸見えでプライバシーもありません。2階への階段はスペースをセーブするためか一人がやっと通れる螺旋階段になっていました。マッチ箱のような家でした。この家が9,000万円。
プロジェクトでドイツ人やアメリカ人のコンサルと一緒に仕事をし、豊かさの違いを強く感じてはいました。しかし、このマッチ箱の家には衝撃を受けました。これまで一生懸命勉強し、それなりの大学に行き、当時日本で恐らく300-400人くらいしかいない外資戦略コンサルに入り、これが自分の寿命を縮めながら人生全てを捧げて自分の家族が住める家と考えると、私には到底納得出来ませんでした。おかしい。理不尽だ。
メーカー時代は、メーカーだからこの位のコンドミニアムと車でしょうがないと言われそれに納得できず戦略コンサルになったのに、今度は一流の立地のマッチ箱の家。給料上がってもそれらがこのマッチ箱の家に食べられてしまう。メーカー時代と何も変わらない。場所が東京になっただけ。一方、ドイツ人やアメリカ人のコンサルは彼らの国でそれに相応しい生活を送っている。
じゃ、欧米ででかい家に住もう、ただ、海外だからといって、移民だからと言ってタクシー運転手やすし職人で生活しようとは思いませんでした。欧米でもプロフェッショナルとして働いて、仕事も私生活も充実し、でかい家に住もうとこのマッチ箱の家を見て決心しました。
私が日本を出た理由、それはマッチ箱の家でした。