カナダ外資系日記

海外就職、海外で働く、株式投資について書きます。

日本を出た理由

投資の話で横道にそれましたが、本題に戻って、私が日本を出た理由について。

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当時戦略コンサルとして働いていました。朝9時から翌朝4時5時まで働きました。長時間働いていただけでなく、クライアントに少しでもValueを出せるように、他のコンサルに自分のValueを認めてもらえるように、アウトプットを出し続けようと日々の強烈なプレッシャーの中、文字通り寿命を縮めながら働き続けました。戦略コンサルの同僚は、地頭すごい、学歴すごい、努力家、それでいてコミュニケーション力も20代30代で一流企業のトップとも堂々と渡り合える、今思っても凄い人たちでした。東大でもトップレベルが集まる集団に、面接が得意な私は紛れ込んだのです。

 

待遇もトップクラスの給料、ホテル、移動、全てがピカピカでした。コンサル料の〇割が経費ですから、いくらでも使えます。しかし、余りにも心も体も疲弊して、何も感じなくなっていきました。

 

ある時、日系自動車メーカーの欧州拠点の最適組織をデザインしてほしいというプロジェクトにアサインされました。場所はアムステルダム。前プロジェクト同様、クライアントはこの日系メーカーの当時の親会社のドイツ自動車メーカーでした。

 

ドイツ人2人、日本人私1人のプロジェクト。このドイツ人2人、物事をとてもロジカルに慎重に考え全てを計画通りに進めます。何事も反論できないほどロジカル。でも、残業はせいぜい夜7時、これを過ぎると帰ります。これでも戦略コンサルはドイツでは長時間労働だそうです。クライアントが午後4時に帰るので、コンサルも日本より早く帰ります。でもプロジェクトは私がそれまで経験したどのプロジェクトよりも上手く進みました。私たちは、クライアントのCOO相手に完璧なプレゼンを行いました。そして最終日、アムステルダムの街に繰り出しました。3か月のプロジェクトでクライアント、ホテル以外に行くのは初めてでした。最後の日にアムステルダムで見た景色は私にはこのプロジェクト以上に衝撃でした。

 

午後4時に、広大な芝生の公園を乗馬してる人がいたり(公園で乗馬かよと突っ込んでみたり)、川をヨットでセーリングしていたりしていました。ドイツ人のコンサルによると、普通でしょという反応。自分たちはコンサルだから、馬も持ちたければ持てるし、ポルシェも乗れるし、家も大きい。だって俺たちコンサルだからと。

 

連日の翌朝までの仕事、強烈なプレッシャー、プライベートなし、外人から自分のガレージより小さいと馬鹿にされる狭いコンドミニアム、全てがドイツと日本のコンサルでは違いました。頑張って行きついた外資戦略コンサルの生活、所詮この程度かなと。プライドだけで頑張ってきた心が折れそうになりました。そして、日本は先進国、日本は豊かという言葉をそれまで余り深く考えずに受け入れてきましたが、欧米って豊かだな、日本って所詮アジアなのかなと私は考えるようになりました。

 

私たちが考える外資戦略コンサルは、あくまで日本法人の外資戦略コンサルで、欧米の戦略コンサルとは違うのです(ドイツを欧米と一般化してますが)。日本の外資戦略コンサルは、欧米の成果主義と日本の長時間労働文化とが合わさった日本固有の業界なのです。

  

日本で戦略コンサルとして生き残るには、自分の能力では自分の全身全霊をコンサルに費やさないと生き残れない、プライベートは何も無い。でも、私は仕事もプライベートもどちらも充実させたい、でかい家に住みたい、その為には自分のポジションを日本ではなく欧米に置いた方が良いと考えるようになりました。戦略の基本はマーケットを正しく定義しどこにポジションを置くかです。自分自身のポジショニング戦略を日本から欧米に移そうと考え始めました。